2007年 02月 12日
インタビューも大詰め、いよいよ佳境にはいってきました (^_-) めったに会えない男 ― シェイン・マガゥワン インタビュー at 2006年クリスマス (パート4) Source of the material : Paddy Rolling Stone Copyright : Martin Roddy, January 2007 Thanks to Ingrid Knetsch 無断転載厳禁 転載の際は必ず許諾をとってください。 シェインが、彼の作品と同じように、そのライフスタイルや歯抜けでも有名なのは無理もない。みんなシェインが‘FAIRYTALE OF NEW YORK’「ニューヨークの夢」を書いたことは知っている。でも、彼のソング・ライティングの範囲が本当はどこにあるのか知っているのは、純粋主義者だけだ。確かに、彼の最もすぐれた作品は'80年代に書かれたものと言えるが、彼の書いた曲は21世紀になった現在でもその人気を保っている。ここでは、シェインが作曲の過程と、曲のアイデアがどこからくるのか語ってくれた。 「俺はただ、ギターでもなんでも、手元にある楽器をかき鳴らすだけだよ。普段から、すぐそばになにかしら楽器があるからね。あるいは、パブで飲んでるときに大ざっぱなアイデアが浮かんでくることもある。すぐに浮かぶときもあれば、時間がかかるときもあるし、あとはだいたいジェムとの共同作業かな。信じてくれないかもしれないけど、「ボディ・オブ・アメリカン」は、俺が "Everyone there was pisskey" (そこにいるみんなが酔っ払ってた) っていうせりふを思いついた結果生まれた曲なんだ (笑) 。"pisskey" はもちろん "pissed" (酔っ払う) っていう意味だよ。それから、幼少期に知ったアイルランドのいろんな物語が題材になることもある。たとえば、家の外に止まっているキャデラックや、殉死して故郷に戻ったアメリカ人やら、ボクサーとか・・・いろんな人々や出来事のごちゃまぜさ! 「ニューヨークの夢」もちょっとそんな感じかな! ジェムと俺で、それぞれ曲のアイデアを持ってて、この曲をクリスマスのデュエット曲にしようということになった。でも、どのクリスマス・ソングにもありがちなたわごとじゃなく、ポーグスの雰囲気を盛り込んだ曲にしたかった。ある時点で、いい線までいってて、そこにカースティ(・マッコール)の魅力が加わったんだ。もちろん、ケイトも頑張ってくれたけど、彼女がバンドを抜けて台無しになっちまった(*1)。それから俺たちは、2年間レーベルともめて(*2)、3枚目のアルバム『堕ちた天使』をリリースして、長いことそのアルバムの曲をライヴで演ってきた。最終的にカースティをスタジオに招いて、彼女が「なんとかやってみるわ」って言ってくれたんだ。彼女のボーカルのおかげで、あの曲は素晴らしいものになったよ。「ニューヨークの夢」がリリースされた頃は最高だったし、誇りに思っている。バンドのメンバー全員、カースティ、ケイト、それから関わりのあった全ての人たちのおかげだよ。俺がポーグスを抜けたあと、全ておしまいになっちゃったけど。ただじっと座っていて曲は書けないんだよ。つまり、そういう賭けのようなことを俺はやったんだ!‘I'LL BE YOUR HANDBAG’(*3)みたいな (笑) 。誰かが、俺がそんなタイトルを使うんじゃないかって賭けてたんだよ。」 「あるドイツ人にこう尋ねられたことを覚えている。『‘TURKEY SONG’っていうダムドの曲、知ってますか?』俺が、『何だって?』って聞き返したら、『ダムドの曲で‘TURKEY SONG’っていうのがあるんです、知ってますか?』(*4) そこで俺はこりゃすごいなって思って、‘TURKISH SONG OF THE DAMNED’「ターキッシュ・ソング」を作り、ブズーキやなんかでプレイして回った。俺はギリシャやトルコに行ったことあったしね。テリーとジェムは、東欧音楽とアイリッシュをミックスした独特のサウンドを使ったんだ。」 「もうひとつの例が、「ララバイ・オブ・ロンドン」。家族ではじめてティペラリーからロンドンに移ってきた頃、親父はパブから酔っ払って帰宅し俺の部屋に入ってきては子守唄を歌うんだ。子守唄というより、すべてうまくいくから安心しろとかなんとか話しかけたものだよ。俺の周りでは、歌や演奏が常にあって、小さい頃は、歌えない、なんてことは許されなかったんだ。できなくてもとにかくやってみることが大事ってことさ。だから俺はどんなことがあっても歌ったし、演奏もした。ただラッキーだったってことかもしれないな。つまり、バーから追い出されたと思ったら、次の瞬間、同じ場所で演奏して金がもらえるんだ。わかるだろ。才能があるのに運に恵まれない人は大勢いるよ。俺は長年、成功こそしないが、すばらしいバンドを数多く見てきた。影響を与えてくれるバンドは、いつもたくさんいるよ。ポーグスに対しての最高の褒め言葉は、”ジャンキーなダブリナーズ”だよ (笑) 。ルーク(*5)とキアラン(*6)がいた頃のオリジナル・ダブリナーズさ。俺はルークに会って話す機会はなかったけど、リアム・クランシー(*7)と同じく、俺にすごく影響を与えた人物だよ。俺がガキの頃は、すべてがビッグだった。ルークはポーグスがダブリナーズと一緒に「アイリッシュ・ローバー」を演ることになったときはすでに故人だった。ロニー(*8)が喉頭癌を患ってたとき、電話で何度が話したことがあって、そのときは元気そうだったよ。ていうか、彼のしゃべり方はいつもがんにかかってるみたいだからね!(笑) 快方に向かうと思うよ。彼はファイターさ。早く良くなるかどうかは、結局は意思の問題だと思う。ステムセル(幹細胞) 治療を受けられるのも間近じゃないかな。ジム・マッキャン(*9)の声がつぶれたのは残念だけど、死に至らなかったは幸いだよ。彼はすばらしい人だから、声が出なくなっても、そばにいて欲しいよ。彼の美声のレコーディング音源はたくさんあるんだ。ダブリナーズにはすばらしいシンガーが大勢いたよ。キアランは歌って、ホイッスルとマンドリンを演奏して、ゲール語もペラペラだった。バンドのゲーリック・ソウルとでも言おうか。ダブリナーズの25周年のライブで一緒に「アイリッシュ・ローバー」を演奏したとき、キアランは客席から立ち上がって、ゲール語で詩の朗読をしたんだ(*10)。英語も混じっていたと思うけど。あれをやったとき、彼はくたくたに疲れてたはずだよ。」 to be continued . . . (*1) この曲は元々ケイト在籍時に制作されている。'05年にBBCで放映されたTVドキュメンタリー “THE STORY OF FAIRYTALE OF NEW YORK”でその背景とケイトが歌うオリジナル音源が確認できる。 (*2) '86 - '87年のスティッフ倒産・売却の騒ぎによりポーグスはこの2年間アルバムを制作できずにいた。だがこの時期は、テリーが加入しベースがケイトからダリルに変わった過渡期でもあり、バンドは増々パワーアップしていき、ライヴ・バンドとして最高潮に達する。'88年1月に3rd『堕ちた天使』はポーグス自ら設立したレーベル Pogue Mahone から変則リリース。当時、日本盤はビクターから発売になっている。 (*3) シェイン&ポープスのアルバム『スネーク』収録曲。 (*4) ダムドの'79年リリースのシングル‘I JUST CAN'T BE HAPPY TODAY’にシークレット(Hidden track)で収録されている曲。ちなみにナンバーは Chiswick / CHIS 120、シェインがいたニップスのシングル‘GABRIELLE’(CHIS 119)と同時リリース。 (*5) Luke Kelly 1月30日の記事参照。 (*6) (*10) Ciaran Bourke '35年生まれ。ダブリナーズのオリジナル・メンバー。'74年、脳溢血でグループを脱退。完治する事なく'88年死去。死の前年、'87年のダブリナーズの25周年トリュビュート・ショーで客席にいたキアランが立ち上がって無伴奏唄・朗読を披露。ポーグスでこのショーに出演したシェインにとって忘れられない光景であるのだろう。 (*7) Liam Clancy '35年生まれ。'50〜'60年代にアメリカで大ブレイクした元祖アイリッシュ・バラッド・グループ(トレードマークは白いアランセーター)、クランシー・ブラザースの末弟。ボブ・ディランをはじめとするアメリカのシンガーをはじめ、アイルランド系男性シンガーらに大きな影響を与えた。兄たちは既に他界しているが、リアムは今だ健在。現在は故郷アイルランド・ティペラリー在住。最近出たアンソロジーが本国でチャートインした。 (*8) Ronnie Drew '34年生まれ。ダブリナーズのオリジナル・メンバー。Luke亡き後もグループを背負って立っていた、ダブリナーズの(アイルランドの、と言っていいだろう)顔的シンガー。シェインとのデュエット「アイリッシュ・ローバー」は説明不要。'95年に脱退。その後もポープスやポーグスと何度も共演。昨年('06年)、喉頭癌と肝臓癌の疑いで入院。病状が心配されるも暮れには退院、TV出演して、酒は止めたが煙草は止められない、などと発言したらしい。 (*9) Jim McCann '44年生まれ。キアランに代わって'74年にダブリナーズに加入。'79年まで在籍。'80年代からはソロで数々のヒットを飛ばす。'90年代には度々日本ツアーを行う。'00年代は体調の悪化により活動が停滞。ルークのDVD(1月30日の記事参照)にコメンテーターとして出演しているが、シェインが述べているとおり、喋りには喉の不調が痛々しく感じられる。 ダブリナーズやクランシー・ブラザーズについてはいずれまた詳しく書きます。 * 注 Chihon(Yas Hoshino)
by chihon
| 2007-02-12 22:15
| Shane MacGowan
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